寂しさを認め、感じ切るとどうなるのか
こんにちは♪本当の自分を取り戻す! こころの相談室「道」前川うづきです。
みなさんにお伝えしたいことは山ほどあれど、、、、、、、、、どれから行きましょう。んーと、、、、、、、
つい先日のつづき「みたいな」お話をします。
自分が感じている寂しさを認められない時、人は人を攻撃する場合があるのですが(本人は、相手に落ち度があると思っている)、ではなぜ、寂しいのを認められないのでしょうか。
不思議ですよね。これ、アダルトチルドレンではない、全くもって健全なご家庭で育った方には到底理解できないことです。そういう方々はこう言うでしょう、「え? 寂しいなら寂しいって言えばいいんじゃない?」と。
それが言えない、言えないどころか認められないのがアダルトチルドレンです。
ちょっと話がズレました。
そう、なぜ寂しさを認められないのか。それは、、、、、、、、
怖いからです。寂しいのを認めた途端、何か怖しいことが起きるような気がして、怖くて怖くて認めることなど出来ないのです。
幼い頃、お母さんに「お姉ちゃんなんだからしっかりしなさい」ってよく言われたのかもしれません。或いは、何かしらの体験があって寂しいことは悪いこと、という考えが作られたのかもしれません。
でも、大丈夫。
寂しいと感じるのは、何も悪いことではありません。むしろ問題なのは、寂しいのは悪いことだと認識していることなのですね。
なので、
わたしは僕は、寂しいんだなあとこころの底から実感できたのであれば、それを感じないようにするのではなく、「寂しいなあ」と、素直にその感情さんを感じてあげることなのです。
そうすると、いつの間にか一歩踏み出そうとしている自分に気がつくはずです。感情は、感じ切ると自然と前に進むようにできていますから。
あなたがありのままの自分を取り戻す勇気を持つことを、祈っています。