異常なまでに人の目が気になる君へ。

はい♪福島県郡山市&会津若松市、こころのカウンセリングルーム「あなたの道」前川です。

昨日と似たようなお話を、別の切り口からお伝えします。

君が社会生活に影響を及ぼすほど、人の目が異常なまでに気になるのは、もともとの性格がそうだからじゃない。強烈な「不自由な信念」があるからです。

私の事例です。

小学校高学年か中学生の頃、ボンジョビが好きになった私は、部屋で大音量でそれを聴いていました。すると、そこへいきなり父が現れて、言ったのです。「うるさい、止めてくれ」と。

そこで私は、勝手に学んでしまいました、「好きなものを好きって言っちゃいけないんだ。言うと親に愛されなくなるんだ」って。だから学校でもお稽古事に行っても、私は「ジョンが好き」とか、「やっぱリッチーもカッコいいよね」とかって、他の人にも言ったことがなかったのですよ。

おかしいでしょう?

もっと遡りますね。小さい頃、我が母は、私にフリルやリボンが付いたお洋服を着せたがりました。色はパステルカラーね。でも私はそれらが大嫌いだった。だから「ピンク、いや」とか「フリル、や」って言ったのですが、そういう時の母ときたら、「女の子なんだからこれが良いのよ!」「これを着なさい!」って激しく怒ったのですよね。この時にも私は学びました、「嫌いなものを嫌いって言っちゃダメなんだ。言っちゃうと、ママは私を愛してくれないんだ」って。

そういうことが幾つも重なって、私は成長するにつれて自分を見失い、愛着障害パーソナリティ障害アダルトチルドレンの要素たっぷりの人間になっていきました。

要するに、親の顔色を伺い過ぎていたのが、社会に出たら今度は、人の顔色が気になって仕方がない、という風になっていったのですね。

で、カウンセリングを受けたりスクールで学んだりしていくうちに、ある時ようやく「自分が好きなもの、好きって言ってみようかな」と思って、実験したのですね。

これがまた、本当に怖かった。心から怖かった。何せ、「好きなものを好きって言ったら、みんなは私を嫌いになる、愛してくれなくなる」と、強烈に思い込んでいたわけですから。

本当に恐る恐る、職場で「私、これが好きで……」とか、みんなが好きなものでも、「私はイマイチ……」とか言ってみたのです。もう、汗びっしょり掻きながら。

そうしたら!

当たり前ですけれど、みんなの態度は変わらなかった! 「自分が好きなものを好きって言っても、みんなは変わらず私と話してくれるんだー、(仲間として)愛してくれるんだー」って思って、不自由な信念の一つがなくなったのですね。

で、「人の顔色を伺う必要はないんだな。自分を出しても、みんなは私を愛してくれるから」と考え方が変わった→→人の目を異常に気にすることがなくなった、、、、という心の流れが出来上がりました。

そう、こういうことなのですヨ。だからね、君を生きづらくさせているのは、「不自由な信念」があるからなのです。そこに気がつくことが第一歩です。応援しています。