行き過ぎた同情は、ただの優越感である。

こんにちは♪クライエント様には常にbelieve&never  give upの精神で接している、こころのカウンセリングルーム「あなたの道」前川です。みなさん、いかがお過ごしですか?

さて今日は、「行き過ぎた同情はただの優越感である」というお話をします。若干ホラー仕立てで……。

「あの子、家庭の事情が複雑でかわいそうな子なのよ」「あの人、身寄りがなくてかわいそうな人なのよ」。たまに聞こえてくる言葉です。こう言っているご本人は、本当にそうだと思っています。

だがしかし、それはあまりにも想像力が足りません。そう仰る方には、ちょっと考えてみてほしいのです。果たしてその事実は、本当に「かわいそう」なのか。

複雑な環境だけれど、身寄りがないけれど、「あの子」「あの人」には、しあわせと思える部分が一つもないのでしょうか。

「そんなことはないでしょうけど……」って思われますよね? 思われますか? (思うと仮定します)

ならばその人は、「かわいそう」とは言えないのではないですか?

同情は、絶対にそれらが自分の身には起こらないという考えがあった上で発せられる優越感です。そしてその優越感は、同情している人の言葉の端々に、態度に、現れます。時に、他人にも不快感を与えるという結果付きでね……。

あなた、特に理由が思い当たらないのに嫌われている感じがして、悩んでいませんか? ドキッとしたあなた、カウンセリングセッションでお話ししましょう。

今日は熱く語ってしまいました。すみません。あっ、今、PayPayでキャンペーンやってます! 我がルームも参加しておりますので、どうぞご利用下さいませ。

じゃっ♪